選挙に介在した暗闇の勢力として、
おばま、ひらりーという名前が挙がっています。
不正選挙は、前回の大統領選挙前から仕組まれたもの、
というのだ。
4年の歳月をかけて、前回も準備した。
結果、以外にも、ひらりーは選挙に負けた。
それで、今回はなりふり構わず、選挙を支配した。
公正な選挙を妨害し、ありとあらゆる手段を講じて、
選挙の結果だけに注力した。
選挙は投票ではない。
開票のプロセスでもない。
誰が、どのように結果を公表するかだ。
選挙を盗んだ、というトランプ陣営の主張は、
実際に盗まれたという証拠もあり、正しいものであろう。
しかし、選挙結果は、選挙不正があったことが明らかになろうとしているにもかかわらず、公表されようとしている。
選挙の公正さ、ということより、政権の中枢に座ろうとする集団は、トランプ排除にむけ総力をあげている。
全世界のあこがれだった米国社会は、無くなったのか。
government of the people,
by the people, for the people
アメリカが、奴隷制などを巡って国が2つに分かれた南北戦争。1863年11月19日、エイブラハム・リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」の演説「ゲティスバーグ演説」は、どこへ行ってしまったのだろう。以下はその全文だ。
87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。
今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。
しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。
[ゲティスバーグ演説 (1863年) 在日米国大使館]