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雑学

おにぎりの日 🍙

6月18日は「おにぎりの日」🍙だそうです。
石川県・旧鹿西町で弥生時代の炭化した“おにぎりの化石”が出土したそうで、そんな昔から、日本食文化の古典的な料理。

石川県では、発見された旧鹿西(ろくせい)の「6」と米食の日「18」でこの日が制定されました。

おにぎり、地方によっては、おむすびと呼びますね。

昔は、なんと言っていたのでしょう。

おにぎりの歴史

一般社団法人おにぎり協会によると次の通り。

紀元前6000年頃(縄文時代中期)日本にイネが伝わったとされる。

紀元前3000〜2800年頃(縄文時代後期)九州から西日本を中心に、東北地方まで稲作が広まる。当時は赤米が主流。のちに黒米が広まる。

紀元1世紀頃(弥生時代中期〜後期)石川県旧鹿西町(現中能登町)で、もち米を蒸して固めて焼かれたおにぎり状のチマキ炭化米塊が発見される。

717 〜724年頃(奈良時代初期)元明天皇の詔により日本各地の『風土記』が編纂される。そのうちのひとつ『常陸国風土記』に「握飯(にぎりいい)」の記述が残る。

794〜1185年頃(平安時代)貴族が宴の際、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれるものを従者に振る舞った。また、防人など兵士が携帯したとされる。

1221年(鎌倉時代初期)承久の乱で、東国(鎌倉幕府側)の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られ、これをきっかけに梅干が全国に広まったとされる。また鎌倉時代末期(1300年頃)には、うるち米が用いらるようになった。

1467〜1590年頃(戦国時代)おにぎりは兵糧として特に重宝される。間引き菜をコメと一緒に炊いた菜飯おにぎりが主流。豊臣秀吉が天下統一後、赤米や黒米に比べ収量の多い白米が広まる。

1603〜1868年頃(江戸時代)おにぎりが「弁当」として重宝されるようになる。五街道の整備に伴い旅人が携行食として、農民が農作業の合間に食した。

1688〜1704年 アサクサノリの養殖が始まった元禄時代(1688〜1704年)に海苔巻きおにぎりが発明される。

1869年(明治2年)山本海苔店2代目山本徳治郎が、明治天皇の京都への行幸の土産として、醤油やみりんで味を付けた海苔を開発。味付け海苔は京都を中心に広がり、近畿地方では味付け海苔がおにぎり海苔のスタンダードになる。

1885年(明治18年)日本鉄道宇都宮駅構内で地元旅館が日本初の「駅弁」を販売。黒ゴマをまぶした梅干入りおにぎり2コとたくあん2枚が竹の皮に包んであった。

1889年(明治22年)山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に、日本で初めて「給食」を実施。当時の献立は、おにぎり、焼き魚(塩鮭)、菜の漬物。

1957年頃(昭和32年)三重県津市にある天ぷら定食店「千寿」が、海老の天ぷらを具にしたおにぎり「天むす」を賄い料理として考案。

1978年(昭和53年)セブンイレブンが、パリッコフィルムを考案。パリパリ海苔の手巻きタイプおにぎりを商品化。以降、おにぎりがコンビニエンスストアの主力商品に。

2013年(平成25年)「和食:日本人の伝統的な食文化」が、自然を尊重する日本人の心を表現したものであり、伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれているとし、ユネスコ無形文化遺産に登録。

2014年(平成26年)おにぎりの世界的認知拡大と地位向上を目指す、一般社団法人おにぎり協会設立。

結局、昔の名前は、不明です。
もっと追求したい人のために、「おにぎり検定」なるものがあるというので、紹介しておきます。

おにぎり検定とは

おにぎり検定は、おにぎりの魅力を国内外に発信する「オニギリスト」の育成を目的とし、おにぎりについての正しい知識、日本の食文化への理解を深めるために実施しています。

「オニギリスト」になる条件は、たった2つ。「おにぎりが好きであること」と「おににぎりを語れること」です。おにぎり検定を通じ、「オニギリスト」として、日本食や日本文化を語るスキルを身につけることができます。

おにぎり検定は2015年より行ってきた試験です。おにぎり協会のアカウントを無料で作成し、ログインすることで受験ができます。

100点満点で、70点以下はブロンズ、70点以上はシルバー、90点以上はゴールド、100点満点はプラチナの称号がつきます。


シルバー以上のユーザーには、協会発行の名刺の取得申請ができ、おにぎり協会のオニギリストとして活動することができます。  以上、おにぎり協会の資料から抜粋です。